miércoles, 9 de agosto de 2017

サラマンカ県の城や城砦

「サラマンカを選ぼう!」(Elige Salamanca)という観光情報サイト
サラマンカ県内にある城や城砦のお勧めスポットを紹介する記事が
あり、11ヵ所のおのうち、シエラ・デ・フランシアから2つ、南部
山岳地帯から3つ、紹介されていましたので、その部分だけ翻訳します。
サラマンカのお城を巡る旅、素敵ですね!


サラマンカの城と城砦

サラマンカのお城と城砦を探険しましょう!

ミランダ・デ・カスタニャル(Castillo de Miranda del Castañar)

かつての伯爵の城壁塔、ミランダ・デ・カスタニャル公爵のお城は
シエラ・デ・フランシアの美しい歴史文化保存地区の中央に厳かに
そびえ立っています。

ミランダ・デ・カスタニャルは、周囲を取り巻く山々の中に広がる
丘陵地帯にあり、かつては伯爵領の中心地でした。
13世紀にアルフォンソ9世の再入植の後に生まれた村です。
城は14世紀と15世紀の間にペドロ・エストゥニガ伯爵によって
おそらく古い城の上に建設されました。
1547年ディエゴ・デ・スニィガ氏に継承され、ミランダ伯爵領と
なりました。



城は大きく切石積みされた塔から成っていて保存状態が
よく、持ち送りと小さなアーチで上部が飾られ、屋上見張りの
ためのメルロンが出現し、小さな丸い見張り穴、上部が円弧形の
小さな窓、城の下部には15世紀にミランダ伯爵だったスニィガ家の
武器紋章付きの天使のレリーフが外側に施され、上部にはゴシック
様式の小文字で「IUCCCL年にペドロ・エストゥニガ伯爵が築城する
よう命令した」と記されています。


城砦は、村の歴史保存地区への入り口にあり、サン・ヒネス門を
くぐり中へ入ります。
個人所有なので、中には入れませんが、前面にある広場から全貌を
見ることができます。また当時をしのぶ領地を見渡すことのできる
城壁部分を歩くことをお勧めします。

Castillonet.orgの記事


サン・マルティン・デ・カスタニャル(San Martín del Castañar)

サン・マルティン・デ・カスタニャルの城は、村からフランス川を
眺めるようにたっています。15世紀の城砦型宮殿でした。

ミランダ伯爵の娘とその夫サン・マルティン出身の貴族が居住する
ために建設を命じられ、それ以来、この村をサン・マルティン・デ・
カスタニャルと呼ぶようになりました。

サン・マルティンの城は花崗岩の切出し石を積み上げています。
四角い2つの塔がありましたが、1つは崩れ、もう一つは高く、
両方をつなぐようにして、居室のある本体がありました。
ほぼ円形で、鋭角の弧の門があり、城壁の盛り土のことを
門塔と呼ぶこともあります。















かつての栄華は塔の一部と中心部の城壁に残されています。
塔の上部は見晴台が設定され、周辺を見渡すことができます。
城外のかつての兵器庫周辺は村の闘牛場となっています。

城が建設された場所は見晴らしの良いため、イスラム教徒の
侵入に対して防御の城砦や監視塔して使われていたのではないか
と考えられています。後には、サラマンカ司教区の行政中、
1834年まで牢屋として使われたり、村の墓地となったため、
保存状態のよい城壁の一部となっています。

南西の城壁からシエラ・デ・フランシア一帯や教会の一重の
鐘楼を含めた村をパノラマで展望できます。

最近になって、再建計画のおかげで、歩行スロープや木製の
足組みなど見学しやすいように修復され、城壁や20世紀の初めに
落雷によって一部が崩れいた塔も補強され、シエラ・デ・ベハルと
シエラ・デ・フランシアの生態系保護地区の訪問者のための
センターとしても使われています。


モンレオン(Monleón)

ルゴニス山の高台にある、15世紀の城で、今なお健在でモンレオンの
村を守っています。

モンレオンの城は、自然に湧き出た2本の川に囲まれ、岬のように
なった場所に立てられています。モンレオンの村の起源は、先住民
ベトネスの時代にさかのぼり、ローマ時代以前から牧畜に従事して
いました。
現在、城砦の門のいくつかに動物の石像が残っています。
アルカイデ山には西ゴード時代の遺跡があります。


村には織物師が財宝を見つけたというモンレアルの宝の伝説があり、
「モンレオン近くの金の山羊の角」と呼ばれています。
ルゴニス山は獅子の山で、ケルト語起源のローマ以前の太陽神である
ルグ(ルー)の山のことです。

城は15世紀に古い城の上に建造されました。1199年にアルフォンソ
9世がベレンゲラ女王に譲ったときからのモンレオンの城の所有者の
変遷が文書に記されています。

1475年にポルトガル勢の攻撃を退けた後、1477年まで改築されましたが、
城主のロドリゴ・マルドナドが命と引き換えに献上せよと暴力的に脅され、
妻によって守られ、恭順の意を示すためにカトリック王に寄付されました。

カスティージャの女王としてイサベルの宣言に起因する継承戦争の間、
城壁に向かって攻撃が行われました。

37メートルの高さの巨大で均整の取れた、15世紀に特徴的な丸い張り出し櫓を
備えた塔を持が目立ちます。内側は、アーチ状の天井の広い部屋があり、
16世紀のものと思われるモルタルに施したエッチングの装飾があります。

2階も同様にドーム型の天井で、さらに上に、今は落下してしまったけれど、
木の床で、さらに上階がありました。この塔の近くに部屋の古道具が残って
いて、上部が円弧の扉は、おそらく15世紀のものと思われます。

モンレオンの村は、城壁の外には数件の家があるだけで、中世の趣を
今なお残しています。通りを歩くと、時が止まっていたかのように、
過去を旅しているような錯覚が起こります。


シウダ・ロドリゴ(Ciudad Rodrigo)

シウダ・ロドリゴの城は天守は常にその支配が継続しているかを
監視し、城壁は長年忘れられてしまった敵から城を守っています。

シウダ・ロドリゴの城は、俗称、トラスタマラのエンリケ2世の城と
呼ばれています。14世紀の城砦は、初期の簡素な城砦の上にレオン
王国のフェルナンド2世が建造しました。
1372年、トラスタマラ朝のエンリケ2世によって、サモラの建築家
ロペ・アリアス・ヘニサロと契約して、再築城されました。
入り口のアーチの上に、1372年6月1日という、その建築の日付の
記念プレートが記されています。
















軍事風ゴシック様式で、3階建てのの大きな天守があります。
上部は胸壁の欄干で仕上げられ、城壁と防御塔で完成しています。
15世紀終わり、フェルナンド3世の時代、ガリシアの建築家
フアン・デ・カブレラの手によって、町の城壁も建造されました。
町の周囲にまた楕円の二重城壁も加えられ、2キロメートル以上の
長さがあります

城壁は、さまざまな国の攻撃に対し歴史を通して幾度と無く
守らなければなりませんでした。最後は、フランスとイギリスの
旗の下、独立戦争で異なる変化にシウダ・ロドリゴは苦しみました。


1929年の10月3日から、シウダ・ロドリゴの城は、国営パラドールとして
使われています。


モンテマヨール・デル・リオ(Montemayor del Río)

モンテマヨールの城はサン・ビセンテの城砦または、天国の城としても
知られていて、クエルポ・デ・オンブレ川の谷にそびえ建ちローマ街道の
銀の道に面しています。

山の頂上に直立し、カセレス県との境界の谷に隠れています。
人々や文化が常に行き交う場所で、レオン王国の再殖民も当然行われ、
イスラム教徒の急襲に応対しました。


この村と城は、様々な城主に所有され、1220年ごろは
ポルトガルのサンチョ王そして、その息子のアルフォンソ
肥満王、その後、1285年まで村の領主はドン・ペドロ
アルフォンソ10世賢王の一番上の息子でした。
現在の城は、14、15世紀に、おそらく、ドン・ペドロ王子か
その息子、ドン・サンチョによって建設されたと考えられて
います。
エンリケ王子(後のエンリケ4世)がフアン・デ・シルバに
寄付した1458年まで王家の所有でした。

建物の中心は、円形や四角形の塔で、強化され、その中でも
天守が目立っています。周長はそんなに長くはなく、一重の
城壁は橋を守る西の門から下に向かってなくなり、村の家々が
広がります。
内部にはエル・コルティナルと呼ばれている教会や付属の家が
あります。

東側には、宮殿でもある城があり、堀があり、小さな半円弧の
前城壁があります。後ろに、主要な建物が、四角や丸い塔に
よって強化され、北に向かって天守があります。

北部台地とエクトゥレマドゥーラの間の自然の通路を防御する
役割を持ち、人々や商品の交流、ラ・メスタからの移牧の集団、
聖ヤコブの巡礼の道の南ルート上にあるため、サンティアゴ・
コンポステーラへ向かう巡礼者たちを見守ってきました。
高い城壁と多くの塔のために、光に向かって、力強く高く細く
そびえる天空の城と呼ばれています。

再建と合併の過程を経て、今日では、中世体験センターとなって
います。訪問者は、建物のさまざまな部分、堀、城壁の門の防護壁、
天守、遊歩道を散策することができ、城の絶頂期だった遠い昔の
生活様式がどのようなものだったのか知ることができます。


サラマンカ県南部の城の所在地


出典:Articulo de ”Castillos y Fortalezas” de Elige Salamanca
   Fotos y mapa(写真、地図も)


関連記事:ペニャ・デ・フランシア巡礼の道
     シエラ・デ・フランシアと歴史保存地区



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